スポーツの感動とは?

今さらで恐縮だが、今年の夏の高校野球はずいぶんと盛り上がったようだ。
私は残念ながら、地元新潟代表校の活躍しか興味がないため、その盛り上がりの内容については詳しくわからない。

しかし、そんな興味のない輩、私のように地元校のみにしか興味がなくても注目出来、期待を抱ける。それはだれでも、そして全国民が抱けるのである。
その辺が、高校野球の人気のキモなんだろう。そういう地元対他県なんて構図の大きいスポーツの大会って高校野球くらいしかないからね。
(ほんとは外国みたいに歴史があればサッカーもそうなるんだけどね・・・残念。)

そんな今回の夏の大会で一番の盛り上がりを見せたのが、決勝戦。
なんたって再試合にまで持ち越されたんだからね。

そして、その再試合が行われた日のことである。
私が帰宅すると、ちょうどNHKのニュースがついていた。
当然決勝再試合の結果をやり始め、私も「どうなったのか?」と思い、しばし見続けたのだが・・・

「なんじゃこりゃ!」と思わず声を上げ、そばにいたへどろん弟とその報道についての文句を多々言い合った。

ようするにその報道は結果や試合進行状況よりも、某局の「熱闘甲子園」よろしくのストップモーションや無音状態や汗が光る選手の顔のアップや祈るスタンドの女学生(美少女)などに重きをおいた報道だったのだ。

その熱闘なにがしはもはやどうしようもないが、天下の国営放送のゴールデンタイムのニュースである。
いくら自分達の局で放送した番組だからって、あんな作りはどういうもんなんだろうか?
あんな風に作り上げないと、国民は感動できないとでも思っているのだろうか?

いや、ひょっとしたらそうなのかもしれない!?

だって、以前某芸人が言っていたらしいけど、お笑い番組、バラエティ番組のあの字幕テロップ、もはや欠かせないというくらいになっているあれ。
あれがないと見ている人は笑いどころがわからない、と・・・そこまではどうかと思うが・・・

しかし、ものはスポーツである。作り上げられた上記の番組達とは違う、筋書きのないものである。
そんな筋書きのないものだから、私たちをドラマティックに感動させてくれるんじゃないの?
だからよけいな事をせず、ありのまま報道して欲しい、いやするべきなのだ。

どうも最近こういう傾向が目についてしょうがない。
スポーツに於ける素晴らしい感動、その感動は人生を豊かにするものなのだ。だから作り上げたりしないでもらいたいのだ。

ただの、普通の試合ばかり見ていると、常に感動できないし面白くないだって?

当たり前だ!
普通の結果や平凡な内容の試合が多いからこそ!
たまにあるドラマティックで、熱く、美しい試合に出逢った時、本当に素晴らしい感動を得れるのだろうが!!!

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