流れてきたのは・・・
もはや30年以上前になるだろうか?
そんな遠い夏の記憶。
近年の夏と違うのか?
それとも記憶の中だから、いいように脚色されているのか?
よくわからないけど、その記憶の中の夏は、
暑いながらもどこか心地よく、
実際今より、クーラー、エアコンの類いに縁のない暮らしだったけど、
それでも、汗ばみながらも不快さは今ほどじゃなかったように思う。
そんなある年の夏に、家族で母の実家に赴いた。
あばら屋のわが家と違って、母の実家は、農家の大きい屋敷って感じの、
部屋も何室もあるし、庭も広く、子供が親戚の人たちや兄弟達と遊ぶにはもってこいの家だった。
それでもやはり遊ぶには限界があって、少し経つと遊び飽きてきた。
そこで、多分に兄弟含む数名で、近所の川へ遊びに行った。
その川は市内を縦断している大きな川の支流で、
今と違って、昔だからか?夏だったからか?記憶があやふやだからか?
よくわからないけど、そんなに水量は多くなく、
深いところでも水が胸くらいまでにしか満たなかったから、
泳げない自分も皆と一緒に遊ぶことが出来た。
水をかけあったり、石を拾い投げたり、川の中に落ちている自分独自の宝物を探したり、
自分以外は泳いだり・・・そんな楽しい夏の記憶の中に、鮮明に残る嫌な記憶がある。
それはその遊びの最中だった。
川面に浮かぶゴミや木の枝や葉っぱ等を拾い投げたりしていた時、
さらなるアイテムが自分に向かって上流から流れてきた。
「お、あれも掴んで投げてやれ!」
と思い、そのアイテムに手を伸ばしかけた時、戦慄が走った。
なんとそれは、鶏の頭だったのだ・・・
しかも、いいバランスを保ってちゃんと頭を上にして、こっちを向きながら・・・
思わず声をあげてそこから離れ、皆に「ほらあそこに!」と訴えるも、
既にその鶏頭は下流に流れて行った後・・・
その時は「一体なんで鶏の頭が・・・」って思ったけど、
今じゃだいたい想像は付いて、多分にその田舎の川のさらに上流、
と言うことはさらに田舎だから、その上流のどこかの家が川辺で鶏を絞めたんだろう。
そして頭部をそのまま川に捨てたんじゃないかと・・・
しかし、まるで川を頭だけだして泳ぐようにこっちに向かって来るが如く・・・
だから、その時の他の記憶はどれもぼやけているけど、
その流れてくる鶏頭だけは、こんなおっさんになっても、
未だに脳裏に鮮明に残っているのです・・・嫌な記憶として。
画像は無関係です…♪
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