美味かった記憶

この時期になると思い出す、遥か遠い昔の思い出。

あの時も、今回の寒波のように、激しい吹雪の中にいた・・・

まずお断りしておかなければいけないのが、これはもう今から30年くらい前のことだから、

いつも以上に、記憶が断片しか残っていないっていうこと。

同時に、その場に一緒にいた父親はすでにこの世にいないから、真実はその記憶の断片を紡ぎ出すしかないってこと。

以上のような案配だから、かなりぼんやりとしたものになることをお断りしておく。

そんな何年も前の冬のある休日、父と二人で地元の山にスキーへ行った。

その山というのは、スキー場でもなんでもない普通の地元の山で、その山の中腹の、多分畑かなにかの場所で滑るというものだった。

リフトなんて、ロープがぐるぐる回ってるものがあったかどうか・・・そんな状態の場所だった。

そんな場所で、視界不良の猛吹雪の中、滑っていたけど、

あまりに吹雪が酷かったのか?それとも単に昼になったからなのか?

やはり忘れたけど、父が「飯にするぞ」と言った。

スキーとストックを持って、車を停めていた場所に逃げるように駆け寄り、スキーとストックを雪の中に突き刺し、車の中に身を潜めた。

食堂はおろか、ロッジの類いもないこの山の中で、しかも猛吹雪の中、いったい何を食べるんだろう?

って思っていると、父が後ろのシートからカップ麺を取り出した。

なんだカップ麺か、と思ったが、そんな場所でそんな状態だったから、これはしょうがないと思い、父に手渡されたカップ麺のビニールを剥がし始めた。

手渡されたそのカップ麺は「緑のたぬき」。

お湯に関しては、今と違い当時は便利なポットの類いはそんなになかったから、

家にあった魔法瓶的なものだった。

お湯を注ぎ、暫し待ち、スキーブーツを履いているから足だけは車外に出し、身体だけ車内にいれたまま、

出来上がり時間になった緑のたぬきを食べた。

これが美味かった・・・

これがなんとも言えないくらいに美味かったのだ。

あれから30年くらい経ち、きっとあれから数百回以上もカップ麺を食べたのに、

あの時の緑のたぬき以上に美味しかったカップ麺は未だに食べたことがない。

あの頃の魔法瓶的なものからのお湯だから、カップ麺に相応しい熱湯とはほど遠いものだろうし、

きっと日々企業努力されている有名なカップ麺だから、その味も進化しているはずなのに・・・

ここで思うことは、食べ物の味に関しては、当然その味だけじゃなく、精神的なものや、まわりの環境、状況なども関係あると思うから、

あの時の、猛吹雪の中、疲れた身体と空腹の状況で食べた温かいカップ麺、という全体に、

あの頃の懐かしい思い出という、郷愁みたいなものも加味されているから、そんな風に思うのだろう。

そう考えると、記憶の中では食べ物の味自体なんてものはそれほど重要じゃないようにも思えてきたりするが・・・どうだろう?





どん兵衛じゃなかったと思うけど…♪

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